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大阪地方裁判所 昭和49年(ワ)3180号 判決

原告

川野太郎

(仮名)

右訴訟代理人弁護士

藤田一良

仲田隆明

被告

日本工業検査株式会社

右代表者代表取締役

林弘

右訴訟代理人弁護士

定塚道雄

定塚英一

定塚脩

主文

被告は、原告に対し、金八八〇万円及び内金八〇〇万円に対する昭和四九年七月二三日から、内金八〇万円に対する本判決確定の日の翌日から、右各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。訴訟費用はこれを五分し、その三を原告の、その余を被告の負担とする。

この判決は、原告において金八〇万円の担保を提供するときは、主文第一項に限り、仮に執行することができる。

被告において金一六〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免がれることがでる。

事実

一、(当事者双方の求めた裁判)

原告訴訟代理人は、「被告は、原告に対し、金二二〇〇万円及びこれに対する昭和四九年七月二三日から右支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決、並びに、仮執行の宣言を求めた。

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決、並びに、原告の請求が認容され仮執行の宣言が付された場合につき仮執行の免脱宣言を求めた。

二、(原告主張の請求原因)

1  原告は、昭和四六年八月当時、満一六才であつて、大阪府立泉尾工業高等学校一年に在学していたものであるところ、被告は当時から肩書地に本店を置くほか大阪など各地に支社・出張所を設置し、放射性同位元素等を用いて、金属の材質の欠陥や熔接物の接合部分の接合状態等を、対象物の損壊を伴うことなく有姿のままで検査すること(以下、かかる検査方法を非破壊検査という。)を主たる営業目的とする会社である。

2  本件被曝事故の発生

(一)  原告は、昭和四六年七月下旬頃から、被告の下請会社である訴外国際非破壊検査株式会社(以下、訴外国際非破壊という。)を介し、被告が非破壊検査を請負つた大阪市此花区桜島南之町一七番地所在日立造船工場敷地内の作業現場において、アルバイトの非破壊検査補助員として稼働し、放射性同位元素を用いた非破壊検査作業に従事していたものであるが、同年八月三日午後五時過ぎ頃、原告は、当日の作業を終え、自己の作業地点から右工場敷地内にある被告の現場事務所に帰るべく、右敷地内の食堂付近にさしかかつたところ、被告の従業員である訴外佐藤敏二三(以下、訴外佐藤という。)に呼び止められ、同人から、放射性同位元素であるイリジウム一九二を線源とする照射器械(以下本件照射器械という。)を右現場事務所まで運搬するよう依頼された。

(二)  そこで、原告は、いつたん右照射器械の所在地点まで引き返したうえ、独りで重量約二五ないし三〇キログラムと推定される右器械を両手でかかえ、これを自己の大腿部にのせるような姿勢で、前記事務所へ向つてゆつくりと運搬をはじめ、再び前記食堂の入口付近まで来たとき、右照射器械を地面におろし、小休止を取つた。

(三)  その後、原告が運搬を再開すべく、右照射器械を持ち上げようとした際、右器械の傍の地面に、長さ約五センチメートル、直径約三ミリメートルの鉄線状の物体が落ちているのを発見したので、訴外佐藤に指示を求めたところ、同訴外人は右物体を右照射器械と一緒に持つて来るよう指示したので、原告は、左手に右物体を握持したまま再び照射器械を両手で持ち上げ、前記(2)と同様の姿勢で、前記事務所までの約四〇〇メートルの間を、約一五分ないし二〇分程かかつて運搬した。

(四)  ところが、原告が左手に握持していた右物件は、右照射器械の内部に収納されていた線源のイリジウム一九二で、何らかの原因で右器械の収納筒のキヤツプが外れて外部に落ちていたものであり、かつ、当時原告は、被告から放射性同位素の危険性について何らの説明も受けていなかつたので、線源のイリジウム一九二がどのように危険なものであるか全く知らずに、少くとも一五分もの長時間に亘つて、これを握持していたため、右線源から発生する多量の放射能を浴びて被曝し、その結果、約一週間後に、原告の左手掌中指付け根付近にみみずばれが生じ、やがて、それが中指全体にまで広がり、堪え難い痛みと悪臭を放つて壊疽状に腐敗する放射線皮ふ炎の傷害を受け、後記4に記載の損害を被つた。

3  被告の責任原因

(一)  放射性物質から放出される放射線は、それに被曝した人体に対して重大な有害作用を及ぼすものであり、例えば、一度に多量の放射線を浴びた場合には極めて短時間のうちに死に至ることがあり(いわゆる原爆症)、また直射部分の皮ふや肉質の組織破壊を生ぜしめ、あるいは生殖機能に重大な影響を与え、生殖不能や不妊をもたらすほか、癌、白血病を誘発し、遺伝的障害を引き起こすのである、このように、放射性物質は、高度の危険性を有するものであるから、その取扱い、管理にあたつては、人体に右の如き危害を及ぼす被曝事故が発生することのないよう万全の注意が払われなければならないのであつて、「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律」(昭和三二年法律第一六七号)も、何人も、一八才未満の者に放射性同位元素によつて汚染された物の取扱いをさせてはならず(右同法三一条一号)、また、放射性同位元素あるいは放射線発生装置を使用する者は、放射性同位元素を用いた非破壊検査作業に従事する者に対し、放射線障害予防規定の周知その他放射線障害の発生を防止するために必要な教育及び訓練を施さなければならず(右同法二二条)、さらに、放射線障害の発生防止のため、総理府令で定める免状を有する放射線取扱主任者に作業員の作業を監督させなければならないのである(右同法三四条、三六条)。

しかるに、被告は、右注意義務を怠り、一八才未満の原告に放射性同位元素そのものを取扱わせ、また、原告に対し、前記法律で定められた教育を施さず、原告をして、放射性同位元素の危険性について全く無知の状態に放置したまま、漫然と危険な前記作業に従事させ、しかも、その作業中、免状を有する放射線取扱主任の監督をさせなかつたから、本件被曝事故は被告の過失によつて惹起したものである。

(二)  また、本件被曝事故は、前記2の(一)に記載した如く、被告の従業員である訴外佐藤が、被告の事業の執行中に、イリジウム一九二を線源とする本件照射器械の収納筒のキヤツプの状態を確かめないまま、右器械の運搬方を、原告に依頼したうえ、地面に落ちた裸のままのイリジウム線源を原告に運搬するように指示した過失により惹起したものである。

(三)  したがつて、被告は、民法七〇九条及び七一五条により、原告の被つた後記損害をそれぞれ賠償すべき義務がある。

4  損害

原告は、本件被曝事故により、次のとおりの損害を被つた。

(一)  慰藉料(金二〇〇〇万円)

(1) 原告は、本件被曝事故により被曝して約一週間後から、左手中指付け根付近及び中指全体に前記2の(四)に記載のとおり、放射線皮ふ炎の症状が現われたので、原告は、昭和四六年八月二七日から同年九月八日まで、被告の大阪営業所近くの山梨病院に通院し、腐敗部分をえぐり取る等の処置を受けた。

その後、原告の左手掌は、右処置によりいつたん治癒したかにみられたが、昭和四七年夏頃、右(1)と同じ症状が再発したため、原告は、再び前記山梨病院に通院したのち、同年一二月一九日から昭和四九年三月一二日まで大阪大学医学部付属病院で治療を受け、その間、昭和四八年六月五日から同年七月九日まで入院のうえ植皮術を、さらに、昭和四九年一月一四日、瘢痕形成術等の手術をそれぞれ受けた。

しかしながら、右手術により、右手掌から中指にかけて腹部の皮ふが移植されたため、術後移植された皮ふに皮下脂肪が膨張し、現在に至るも左手にゴムを張りつけたような異和感が解消されないばかりでなく、左手が物体に触れると常に激痛を伴い、左腕全体に脱力感が著しく、握力も甚しく低下しているうえ、全身からも従前の活力が失われて体力の低下をきたし、著しい倦怠感があり、仕事や日常生活に極めて不自由を感じている。

(2) 次に、原告が本件被曝事故によつて浴びた放射線量は、一九七一年の千葉県でのイリジウム一九二被曝事故に関する国立放射線医学総合研究所の報告(以下、「報告」という。)における算定方式を用い、原告が握持したイリジウム線源の形状を、「報告」におけるそれと同一のものとし、イリジウム線源の放射能強度を一〇キユリー、握持した時間を一五分間として算定すると、次のとおりである。

(イ) 左手掌の皮ふの被曝線量(約四万レム)

「報告」 によれば、イリジウムの表面における照射線量は、イリジウム一キユリー当り毎分二五〇レントゲンとされているところ、原告は、その左手掌の皮ふを一〇キユリーの線源の表面に一五分間密着させていたのであるから、原告の左手掌の皮ふの被曝線量は、左記の算式により、約四万レムとなる。

250(レントゲン)×10(キュリー)×15(分)÷0.95

(レントゲンからレムヘの換算係数)≒4000(レム)

(ロ) 全身の被曝線量(約一〇レム)

「報告」 によれば、5.26キユリーのイリジウム線源を身体側面中央に置いた際の全身の被曝線量が体表面から線源までの距離との関係として算出されており、線源が体表面にある場合の計算値は、六〇分当り約二〇レムとされているところ、原告が線源を保持した位置は、ほぼ身体側面中央と考えられるから、原告の全身の被曝線量は、左記の算式により、約一〇レムとなる。

(ハ) 睾丸の被曝線量(約九〇レム)

「報告」 によれば、臀部付近に5.26キユリーのイリジウム線源を約四〇分間保持していた場合の睾丸の被曝線量は一二五レムとされているところ、原告が線源を保持していた腰の部分と臀部との睾丸に対する相対位置は、お互にほぼ等しいものと看做されるから、原告の睾丸の被曝線量は左記の算式により、約九〇レムとなる。

(3) しかして、原告が、本件被曝事故によつて右(2)に記載の如く多量の放射線を浴びたとすると、原告にとつて、放射線被曝による将来への恐怖と不安は、右(1)に述べた苦痛よりもはるかに深刻かつ重大といわなければならない。すなわち、

(イ) 一度に多量の放射線を浴びると、正常な細胞が放射線にさらされ変形することによつて、各種の致死性の癌、白血病が誘発されるが、これらの症状があらわれるまでに数年ないし数一〇年の潜伏期間が存在するのが通常である。したがつて、被曝者は癌、白血病等の悪性の疾患がいつあらわれるかもしれないという恐怖と不安を抱かざるを得ず、しかも現在の医学をもつてしても、右悪性疾患に対しては何ら有効適切な治療手段が存在しない以上、癌や白血病等の発病は、取りも直さず死の訪れを意味し、原告は、今後このような恐怖と不安を抱き続けたままで人生を送らなければならない宿命を負つたのである。

(ロ) さらに重大なことは、被曝の際の線源の位置が睾丸に近く、睾丸に多量の被曝を受けたという事実である。生殖をつかさどる睾丸への大量被曝は、必然的に生殖能力の低下ないし不能を招来し、本件被曝事故に遭遇しなければ、数年後幸福な結婚生活に入れた筈の原告の前途に、重く暗い影を落しているのである。

(ハ) また、仮に、生殖能力が維持されたとしても、晩発性の遺伝的障害が心配される。すなわち、現在の遺伝学上、たとえ低線量(数ミリレム)の被曝であつても、遺伝的に無害であるという保証はなく、遺伝的悪影響と被曝線量とは比例関係にあるとの知見が確立されているが、原告が浴びた被曝線量は、遺伝的影響という観点からしても、重大な量といわなければならず、遺伝的障害が発生する蓋然性は極めて高いというべきである。

したがつて、原告は、自己だけでなくその子孫に至るまで、重大な遺伝的障害の発生のおそれから逃れることはできないのである。

(4) ところで、原告は、本件被曝事故当時、満一六才の明朗な男の子で、前記工業高校に通学して大学進学を志していたが、右に述べた如く、本件被曝事故による将来への不安から希望を失い、進学を断念して高校卒業後昭和四九年四月から、ガラス製造会社に工員として就職するに至つた。そし、原告は、就職後も依然として、作業中に物を持つたりした場合における前記の如き激痛や、身体全体に及ぶ脱力感に悩まされており、しかも、右会社には、本件被曝の事実を秘匿したまま就職しているため、右の苦悩を他人に打明けることもできず、独りで酷しい労働に耐えるほかなく、その苦痛は、察するに余りあるというべきである。

(5) さらに、本件被曝事故が、前記3に記載の如く、被告の放射線発生装置に対する極めて杜撰な管理によつて惹起されたことは明白であり、かかる点も、原告の慰藉料算定にあたつて十分参酌されるべである。

(6) 以上、原告の左手掌に現実に発生している放射線皮ふ炎とその後遺症に基因する労働作業上の障害による肉体的精神的苦痛、さらに、原告が、将来極めて長期間に亘つて苦しまなければならないところの、癌、白血病、生殖不能、遺伝的障害等の症状がいつ現実化するかもしれないという恐怖、及び、それによる絶望的とも言える精神的苦痛に対する慰藉料は、少なくとも金二〇〇〇万円を下らないというべきである。

(二)  弁護士費用(金二〇〇万円)

原告は、原告訴訟代理人らに、本件訴の提起及び訴訟追行を委任し、請求認容額の一割相当額を報酬として支払う旨を約したので、弁護士費用として金二〇〇万円の支出を余儀なくされるものである。

5  よつて、原告は、被告に対し、民法七〇九条又は民法七一五条に基づき(選択的併合)、金二二〇〇万円及び本訴状送達の翌日である昭和四九年七月二三日から右支払済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

三、(請求原因に対する被告の答弁及び主張)

1  原告主張の請求原因1の事実のうち、原告が昭和四六年八月当時満一六才であつて、大阪府立泉尾工業高等学校一年に在学していたことは不知、その余の事実は認める。ただし、イリジウム等の放射性同位元素を用いての非破壊検査業務は、被告の全非破壊検査業務のうちの約二〇パーセントである。

同2ないし4の主張はすべて争う。

2  原告主張の本件被曝事故が発生したことはない。すなわち、

(一)  被告が、訴外国際非破壊に放射線業務を行なわせたことはない。被告は、訴外国際非破壊に、浸透探傷検査(カラーチエツク)を下請させたところ、右検査は、色素を混ぜた有機溶剤をスプレーにして、その浸透性の程度の差により、金属組織内の欠陥を調査するものであつて、放射線同位元素を用いないものであるから、訴外国際非破壊のアルバイトといわれる原告が、昭和四六年八月三日当時、放射線同位元素を用いる検査に従事していたことはないし、また、被告が、原告に対し「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律」に定める義務を負うものではない。

(二)  次に、被告の従業員である訴外佐藤は、原告に対し、イリジウム一九二を線源とする本件照射器械の運搬を依頼したこともなく、また、地面に落ちていたイリジウム線源を運搬するよう指示したこともない。

なお、甲第三号証の大阪府警の検証調書は、現場の状況・位置関係についてのみ証拠価値を有するものと解すべきである。

(三)  次に、本件照射器械に使用されているイリジウム一九二の線源は、全長約13.7センチメートル、直径約九ミリメートルであるから、原告が拾つた鉄線状の物体と形状が異なるし、右イリジウム線源は、本件照射器械内にキヤツプ及びストツパーで厳重に止めてあるので、原告がいたずらして右キヤツプ及びストツパーを操作しない限り、運搬中に脱落することは有り得ないから、右イリジウム線源を運んだことはない。

(四)  また、原告が運搬したと主張するイリジウム一九二を線源とする照射器械は、重量約一五キログラムの小型で、片手で持つて運搬可能なものであるから、これを両手でかかえ、大腿部にのせるような姿勢で運搬したとは考えられず、しかも、原告主張の食堂入口から現場事務所までは約二〇〇メートルであるから、右照射器械の運搬に要する時間は約三分程度であつた筈である。

なお、原告がその主張のイリジウム線源を本件器械と共に運んだとしても、被告の作業時間は、午後四時三〇分で終了するので、原告が右イリジウム線源を運んだと主張する午後五時過ぎは作業終了後の時間である。したがつて、右イリジウム線源の運搬は被告の業務とは無関係である。

3  次に、原告主張の如き放射線皮ふ炎の症状は、被曝して約四週間後に現われるものであり、一方、薬物や焼けた鉄板等による火傷によつても右と同一の症状が起り得るものであるから、原告主張どおり右症状が被曝後約一週間で現われたものとすれば、それは他の原因によるものであり、放射線被曝との間に因果関係はないというべきである。

4  次に、仮に、被告が本件被曝事故発生につき責を負うべきであるとしても、以下に述べるとおり、本件被曝事故による原告主張の被曝線量は過大に過ぎるというべきであるし、原告が放射線に被曝したことによる悪性疾患発生の可能性は殆んどなく、また、生殖能力の低下等もないうえ、遺伝的障害も妥当性の範囲内であると考えられるから、原告主張の慰藉料額は、余りに高額に過ぎるというべきである。すなわち、

(一)  イリジウム一九二線源の放射能強度は、七四日間で半減するものとされているところ、これを本件についてみると、本件照射器械に使用されているイリジウム線源の放射能強度は、昭和四六年四月三〇日のいれかえ当初一〇キユリーであつたから、本件被曝事故が起つたとされる同年八月三日の時点においては、4.125キユリーとなる。

ところで、本件照射器械は、前記2の(四)に記載のとおり、重量約一五キログラムの小型のものであつて、片手で持つて運搬可能なものであり、しかも、原告主張の如く食堂入口から現場事務所まで歩いて運搬したものとすば、その距離は約二〇〇メートルで所要時間は約三分にすぎないと考えられるから、原告の左手掌の皮ふの被曝線量は約二〇〇〇レムであり、全身や睾丸の被曝線量は取るに足らない数値である。

(二)  また、原告が主張する左手中指の症状が、放照線被曝によるものでないことは、前記3記載のとおりであるし、体力の低下や脱力感も被曝直後に発生し、漸次回復する筈のものである。

(三)  次に、放射線被曝による癌の発生は、集積線量三〇〇〇ないし八五〇〇レムにおいてその可能性があるものとされているが、原告の左手掌の皮ふに、原告主張の如き壊死、かいようあるいは異常な皮ふ硬化症状が生じたとしても、医療処置によりなおしておけば、癌発生のおそれはないものであり、しかも、現に、原告左手掌の受傷部位は治ゆしているのである。

(四)  次に、放射線被曝による白血病の発生は、一〇〇レム以上で顕著であり、生殖能力の低下は、二五〇レム以上であつても、約一年で回復するものとされているところ、原告の全身及び睾丸の被曝線量は、前記(一)に記載のとおりとるに足らない数値というべきであるから、本件被曝事故による白血病及び生殖能力の低下については、殆んどその可能性がないものというべきである。

5  過失相殺

さらに、本件被曝事故は、原告が本件照射器械のキヤツプ等を故意又は過失により脱落させたため起きたものであるし、また、被告は、もし原告が放射線に被曝したものとすれば、適切な措置を執るべであると考え、昭和四六年一〇月頃、原告を大阪厚生年金病院に行かせて、同病院の診察を受けさせたところ、同病院は、原告に放射線総合医学研究所の診察を受けるよう勧め、紹介状まで交付したにもかかわらず、原告及び親権者は、これを拒否したのである。そして、以上の事実からすれば、本件被曝事故の発生及び損害の拡大については原告の側にも重大な過失があるというべきであるから、仮に被告に損害賠償義務ありとしても、被告の原告に対する賠償額を定めるについては、右原告の過失を斟酌すべきである。

6  なお、被告は、昭和四七年中に、訴外国際非破壊を介して原告に対し、慰藉料金二〇万円を支払つたから、原告主張の慰藉料から右金二〇万円をさし引くべきである。

四、(被告の右主張に対する原告の答弁)

被告の前記2ないし6の各主張事実はいずれも争う。

五、(証拠関係)〈略〉

理由

一被告が、肩書地に本店を置くほか、大阪など各地に支社・出張所を設置し、放射性同位元素等を用いて、金属の材質の欠陥や熔接物の接合部分の接合状態等を、対象物の損壊を伴うことなく有姿のままで検査すること(非破壊検査)を主たる営業目的とする会社であることは、当事者間に争いがなく、原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和四六年八月当時、大阪府立泉尾工業高等学校一年に在学中の満一六才の男子であつたことが認められる。

二そこで、まず、本件被曝事故の発生の有無について判断する。

1  前記一の事実に、〈証拠〉並びに、弁論の全趣旨を総合すると、次の如き事実が認められる。すなわち、

(1)  原告は、大阪府立泉尾工業高等学校第一学年に在学していた頃、夏休みを利用して、昭和四六年七月二七日頃から被告の下請である訴外国際非破壊検査株式会社を介して、被告が請負つた非破壊検査の作業現場である大阪市此花区桜島南之町一七番地所在訴外日立造船株式会社桜島工場において、アルバイトとして稼働していたところ、同年八月三日も、朝から右工場敷地内の八号作業場において、被告の従業員である訴外中村某と共に非破壊検査の作業に従事し、同日夕方その作業を終つたこと

(2)  次に、昭和四四年一二月頃から被告に雇われ、非破壊検査の仕事に従事していた訴外佐藤敏二三も、前記昭和四六年八月三日、被告の命令で、前記訴外日立造船株式会社桜島工場内の鉄構第八工場(前記八号作業場とは別の場所)において、原告とは別個に単独で、放射性同位元素であるイリジウム一九二を線源とする照射器械(本件照射器械)を用いて、イリジウム照射による非破壊検査の作業に従事し、同日夕方、その作業を終つたこと

(3)  ところで、原告は、右同日午後五時前頃に、当日の作業を終了したので、前記八号作業場から鉄構第八工場等を経て、前記訴外日立造船株式会社桜島工場内にある被告の現場事務所まで歩いて帰る途中、本館前通りに面した総合ハウスの社員食堂前にさしかかつたところ、前記鉄構第八工場の北西角付近にいた訴外佐藤に呼び止められ、右同日同人が非破壊検査に使用していた本件照射器械を、被告の現場事務所近くのエツクス線室まで運搬するよう依頼されたこと

(4)  そこで、原告は、右訴外佐藤の依頼に応ずることとし、前記鉄構第八工場の北西角の軒先付近で、訴外佐藤から ホースのついた本件照射器械の本体を受け取り、そのホースを自己の左腕に巻きつけたうえ、本件照射器械の本体を両手でかかえ、これを自己の大腿部にのせるようにして前かがみの姿勢を取り、ゆつくりとこれを前記エツクス線室の方に運搬し始め、また、訴外佐藤は、ロープ等軽いものを持つて被告の現場事務所の方へ歩き出したこと

(5)  そして、右運搬を始めて間もなく、原告は、キヤンデイを食べるべく前記社員食堂入口付近で、いつたん本件照射器械の本体を地面におろし、約五分位してキヤンデイを食べ終つた後、再び本件照射器械を運搬すべく、原告がその本体を持ち上げようとした際、たまたま右照射器械の本件の収納筒内に収納されていたイリジウム一九二の線源(その正確な大きさは不明であるが、原告の記憶によれば長さ約五センチメートル、直経約三ミリメートル位のもの)が、右本体から脱落して傍の地面に落ちているのを発見したこと、しかし、原告は、当時右傍の地面に落ちていたものが、イリジウム一九二の線源であるなどとは全く知らなかつたので、これを拾いあげ、訴外佐藤に「これ何でしようか。」と尋ねたところ同訴外人は、「何か分からないが、一緒に持つてこい。」と答えたので、原告は、訴外佐藤の指示に従い、右イリジウム一九二の線源を左手で握持したうえ、両手で本件照射器械の本体を持ち上げ、前記(4)と同様の姿勢で、右同所からエツクス線室まで、少なくとも五分以上かかつて、ゆつくりと本件照射器械の本体を運搬したこと、なお、本件照射器械の本体は約一五キログラムの重さであるから、通常人がこれを両手にかかえて運ぶ場合には、普通に歩く程早くは運べないこと、

(6)  その結果、原告は、右イリジウム一九二の線源から発生する放射線を浴びたため、約一週間後に、原告の左手掌中指付け根付近にみみずばれが生じ、やがてそれが中指全体にまで広がり、堪え難い痛みと悪臭を放つて壊疽状に腐敗する放射線皮ふ炎の傷害を受けて、本件被曝事故が発生したこと、

以上の事実が認められ〈る。〉。〈証拠判断・省略〉

2  もつとも、証人佐藤敏二三は、同人が本件被曝事故発生前に、社員食堂付近を通行中の原告を呼びとめて本件照射器械の運搬を依頼したことはない、との証言をしている。しかしながら、〈証拠〉によれば、訴外佐藤は、大阪警察本部防犯部公害課が昭和四九年六月八日、前記日立造船桜島工場において施行した、同訴外人に対する放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律違反被疑事件の現場検証に、原告とともに立会のうえ、司法警察員に対し、前記工場内の鉄構第八工場の出入口の軒下から、社員食堂前の東端の植込み前を指して、「植込みのそばを歩いている川野君(原告)を見かけたので呼びとめた。」との指示説明を自らおこなつていることが認められるのであつて、この事実と原告本人尋問の結果に照らして考えると、前記証人佐藤敏二三の証言はたやすく信用できないのである。

なお、被告は、本件照射器械に使用されているイリジウム一九二の線源は、全長約13.7センチメートル、直径約九ミリメートルであつて、原告が拾つて運搬した物体と大きさが異なると主張しているが、本件照射器械に用いられているイリジウム一九二の線源が、被告主張の大きさであることを認め得る証拠は何らないのみならず、前記認定の原告が拾つて運搬した物体(イリジウム一九二)の大きさは、原告の記憶による大凡の大きさにすぎないから、右線源の大きさのみをとらえて前記認定を覆すことはできない。

さらに、被告は、前記認定の如き左手の症状が放射線皮ふ炎の症状によるとすれば、右症状は、被曝して約四週間後に現われるものであるが、原告の右症状は、事故後約一週間で現われたものであり、かつ、右症状は、薬物や焼けた鉄板等による火傷によつても起り得るものであるから、原告の左手の右症状は、本件事故とは因果関係がないと主張している。

しかしながら、右放射線皮ふ炎の症状が被曝後四週間にしてはじめて現われるとの事実を認め得る的確な証拠は何らないのみならず、かえつて、証人田代実の証言によれば、被曝した皮ふに水包ができたり、潰瘍になつたりする等の放射線皮ふ炎の症状は普通、被曝後約一週間目頃から現われるものであることが認められるし、また本件被曝事故後一週間以内に、原告が熱による火傷を負つたこと等前記症状の発生原因となる事実のあつたことを認めるに足る証拠は何らないから、原告の罹患した前記左手の症状は、本件被曝事故と因果関係がないとの被告の主張は理由がない。

三そこで次に、本件被曝事故に対する被告の責任について判断する。

前記二に認定の事実に、〈証拠〉によれば、人が、本件照射器械の線源として使用されているイリジウム一九二の発するガンマー線を浴びれば、その量如何によつては、放射線皮ふ炎、癌、白血病、染色体異常、造血障害に罹患したり、その他遺伝的障害を受け、ひいては死亡することもあることが認められるから、本件照射器械のようなイリジウム一九二を線源とする照射器械を扱う者は、何人も、右照射器械を扱うに際し、自己及び第三者が右イリジウム一九二の発するガンマー線をあびないように細心の注意を払うべきは勿論、人をして、右照射器械の線源であるイリジウム一九二そのものを直接手に持つて運搬させるようなことは絶対に避けるべき義務があるものというべきである。

ところで、前記二に認定した事実に、〈証拠〉を総合すると、次の如き事実が認められる。すなわち、(1)、訴外佐藤は、昭和四四年一二月頃、被告に雇われ、それ以来被告の請負つた作業現場で非破壊検査の作業に従事していたものであるところ、右訴外佐藤は、被告に入社した当初、約一週間程にわたつて、被告から、非破壊検査の意味、方法、非破壊検査に用いる照射器械の構造や取扱上の注意、右照射器械の線源として用いられるX線、イリジウム、コバルト等から発する放射線を人があびた場合の影響等について簡単な教育を受けたこと(それが徹底したものか否かの点は暫く措く)、(2)、したがつて、訴外佐藤は、本件被曝事故当時、本件照射器械やその線源のイリジウム一九二については、極めて初歩的な知識はあつたこと、(3)、一方、原告は、本件被曝事故当時、満一六才の高校生であつて、当時単にアルバイトとして、被告の作業現場で働いていたに過ぎず、本件照射器械については勿論、その線源として使用されているイリジウム一九二についても何らの知識もなかつたこと、(4)、ところで、訴外佐藤は、本件事故前に、被告の業務として、前記日立造船株式会社桜島工場の鉄構第八工場において自己の使用した本件照射器械を、右第八工場から被告方の現場事務所に運搬するに際し、たまたま右第八工場近くを通りかかつた原告に対し、本件照射器械の運搬を依頼したところ、右運搬の途中、社員食堂前付近で原告の拾い上げたものが、本件照射器械から脱落したイリジウム一九二の線源であることを看過し、当時、右イリジウム一九二の線源については全く無知の原告に対し、誤つて、右イリジウム一九二の線源をそのままの状態で本件照射器械と共に被告方現場事務所まで運ぶよう指示し、原告がこれに従つたために、本件被曝事故が起きたこと、以上の事実が認められ〈る。〉。〈証拠判断・省略〉

してみれば、本件被曝事故は、訴外佐藤が被告の事業を行うにつき、その過失によつて惹起させたものというべきであるから、被告は、原告に対し、民法七一五条により、原告の被つた後記損害を賠償すべき義務があるというべきである。

もつとも、被告は、本件事故は、原告が本件照射器械を運搬中に、右器械のキヤツプ及びストツパーを操作して、イリジウム線源を本件照射器械から脱落させた過失により、発生したものであるから、被告に責任はない旨主張するが、右被告の主張事実があるからといつて、これにより、前記脱落したイリジウム一九二の線源をそのまま原告に運搬させた訴外佐藤の過失を否定することはできないばかりでなく、右被告主張の事実を認め得る証拠は何らないから、被告の右主張は失当である。

またさらに、被告は、被告方での就業時間は、午後四時三〇分で終了するところ、訴外佐藤が原告に本件照射器械の運搬を依頼し、ついでイリジウム一九二の線源を運搬するよう指示したのは、いずれも被告方の就業時間終了後であるから、被告の事業執行にあたらない旨主張するが、仮に、訴外佐藤が原告に本件照射器械の運搬を依頼し、ついでイリジウム一九二の線源を運搬するよう指示したのが、被告方の就業時間終了後になされたものであるにしても、右が、前述の如く、被告の業務を遂行するためになされたものであつて、かつ、右イリジウム一九二の線源を運搬したために本件被曝事故が発生したものである以上、本件被曝事故は、被告の業務執行中に発生したものというべきであるから、被告の右主張は失当である。

四そこで、本件被曝事故によつて原告の被つた損害について判断する。

1  慰藉料

〈証拠〉を総合すれば、次の如き事実が認められる。すなわち、

(一)(1)  原告は前記のとおり本件被曝事故によつて、放射線皮ふ炎の傷害をうけ、その後約一週間位してから、左手掌中指がみみずばれとなつて激痛を覚え、また、患部が悪臭を放つようになつたし、また寝汗をかき、頭髪が抜けるようになつたこと、そこで、昭和四六年八月二七日頃から同年九月八日頃までの間、被告の大阪営業所近くの山梨病院に通院して治療を受けたところ、その際には、右受傷部位に一応皮ふが張つてきたので、原告は、右傷害は治ゆしたものと思つていたこと

(2)  ところが、その後も左手で物を握ることはできない状態であつたが、さらに、翌昭和四七年八月頃から、前記放射線皮ふ炎が再発して、患部に激痛を覚え、悪臭を放つようになつたため、原告は、再び前記山梨病院に通院した後、同年一二月一九日から昭和四九年三月一二日までの間、大阪大学医学部付属病院整形外科で右傷害の治療を受けたところ、同病院では、右傷害が皮ふ癌に発展するおそれがあるとして、昭和四八年六月一五日、原告の左手掌中指の潰瘍になつた部分を切除したうえ、そこに腹部の皮ふを移植する有茎皮ふ弁移植術を、同年七月五日には有茎皮ふ弁切離術を、それぞれ施行したこと、その後、さらに昭和四九年一月一四日、右腹部の皮ふを移植した左手中指の瘢痕拘縮形成術を施行し、原告の左手中指受傷部位に対する外科的措置は一応成功し、余後も良好な状態にあること、

(3)  しかしながら、本件被曝事故による原告の左手掌の被曝線量は、左手掌中指の放射線皮ふ炎の症状・程度からみて、数千レムと推測され、しかも放射線による照射は、その性質上皮ふの表面だけでなく、皮下組織、筋肉、腱あるいは骨にまで及ぶものであつて、前記(2)の皮ふ弁移植術を施したからといつて、将来皮ふ癌になる危険性がなくなるものではなく、依然として皮ふ癌になる可能性が相当程度にあり、今後定期的な観察が必要であること、

(4)  次に、原告は、本件被曝事故当日から一九六五日を経過した昭和五一年一二月二一日当時においても、本件被曝事故によつて浴びた放射線のため、六二八五の細胞中三個の異常染色体(二動原体染色体)があり、右異常染色体の数からすれば、本件事故当日原告がその全身にあびた被曝線量は、ライナツク=直線加速器=エツクス線で四八ラド、コバルト六〇ガンマ線三四ラドに相当すると推測され(鑑定人古山順一の鑑定の結果参照)(ラドは、物質の一定質量当り一定量のエネルギーが吸収される場合の線量の単位で、一レントゲンの生物体の吸収線量は通常0.96ないし0.97ラドである。)、イリジウム一九二の発するガンマー線の場合は、その中間にあること、また、右原告の被曝線量をレムで現わせば約三四レム前後であること(一レムは、エツクス線やガンマー線の一ラドと等しい生物効果を与える線量である。)、

(5)  ところで、我が国では、現在、放射線作業者に対する放射線被曝の最大許容量は、年間五レムで、一般人に対する右許容量は、その一〇分の一以下とされており、昭和四〇年頃以降は、一般にその被曝線量が二五レムを超えると人体に影響があるといわれているが、現実には、昭和四六年に千葉県で起きたイリジウム事故の研究結果では、放射線を浴びた人で、一〇ないし二五ラドの被曝線量の人にも、造血機能異常、染色体異常、精子減少症、皮ふ炎等の症状が現われたところ、原告が本件被曝事故によつて浴びた被曝線量は、右の如き線量を相当上廻ること、そのため、原告の今後における晩発性障害の白血病、癌等の発生率や遺伝的障害の発生率は、本件被曝事故にあわなかつた場合に比べ相当に高く、これに対する原告の恐怖と不安は深刻であること、

(6)  原告は、本件被曝事故当時、満一六才の明朗な男子で、前記工業高校に通学し、大学進学を目ざしていたが、本件被曝事故による入院治療等のため学力が低下したことと、右に述べたような放射線被曝による将来への深刻な不安から希望を喪失して、進学を断念し、高校卒業後昭和四九年四月から訴外山村硝子株式会社に就職して稼働しているところ、原告は、現在も作業中に物を持つたりした場合に左手中指に激痛を覚え左手に力が入らず、物も充分に握れない状況にあり、全身に倦怠感、虚脱感があつて、発熱し易く、運動も満足にできないこと、

(7)  一方、被告は、本件被曝事故直後原告が被告方の従業員の過失によりイリジウム一九二の線源を左手に持つて本件被曝事故が発生したことを知りながら、その後原告が、前記の如く左手掌中指がみみずばれとなつて激痛を覚える等の前記症状を訴え、その善処分を被告に要求したにも拘らず、これを放置し、放射線を浴びた原告に対し、適切な医療措置をとるような方法をとらなかつたこと、そのため、原告は、当初は、左手掌中指の前記症状は、イリジウム一九二の発する放射線を浴びたことによつて生じたものであることを知らず、一般の外科病院である山梨病院で、単なるやけどとしてその治療を受けていたに過ぎないこと

以上の事実が認められるし、また、前記認定の如き本件被曝事故の発生の経過自体に照らしてみれば、被告自身、人体に危険を及ぼすイリジウム一九二を線源とする本件照射器械の管理及びこれを扱う被告方の従業員に対する教育監督が杜撰であつたと認めるのが相当であつて、以上の各認定に反する前掲乙第一一号証の記載内容、証人菅野毅の証言はたやすく信用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(二)  もつとも、被告は、本件被曝事故発生当時、本件照射器械の線源であるイリジウム一九二の放射能強度は、4.125キユリーであり、また、原告が右線源を運んだ時間は約三分であると主張し、これを前提として、原告の被曝線量は、認定の量よりもはるかに少ないと主張しているが、本件被曝事故発生当時の右線源の放射能強度が4.125キユリーであつたことを認め得る証拠はないし、また、前掲甲第三号証によれば、原告が右線源を運んだ社員食堂からエツクス線室までは、実際に歩いた実験の結果、徒歩で約五分を要することが認められるから、右被告の主張は失当である。

(三)  そして、前記(一)に認定した諸事実や被告の被用者である訴外佐藤が、原告の拾つたものは本件照射器械のイリジウム一九二の線源であることを看過して、これを原告に手で運ばせた過失は極めて大であること、本件被曝事故によつて発生した結果は極めて重大であること、本件被曝事故の前記の如き誠意のない被告の態度、原告が後記の如く訴外国際非破壊から昭和四八・九年頃金二〇万円を受けとつたこと、その他諸般の事情を総合して考えると、原告が本件被曝事故によつて被つた肉体的精神的苦痛は極めて多大であつて、これを慰藉すべき額は、金八〇〇万円と認めるのが相当であり、右を超える原告の主張は失当である。

2  弁護士費用

原告本人尋問の結果、並びに弁論の全趣旨によれば、原告は、被告が、本件被曝事故によつて原告の被つた前記損害賠償の請求に任意に応じなかつたので、本件訴訟代理人の藤田一良、仲田隆明の両弁護士に訴訟委任をして、本訴を提起したことが認められるところ、かかる事実に、本件訴訟の難易度、本訴で認容される額、その他諸般の事情を総合して考えると、右弁護士費用のうち、本件事故と相当因果関係のある額は金八〇万円と認めるのが相当である。

五次に、被告の過失相殺の主張について判断するに、被告は、原告は、本件照射器械を運搬中、そのキヤツプ及びストツパーをいじつて、イリジウム一九二の線源を脱落させたものであり、また、本件被曝事故発生後、被告は、昭和四六年一〇月頃、原告を大阪厚生年金病院に連れてゆき、同病院の診察を受けさせたところ、同病院は、原告に放射線総合医学研究所の診察を受けるよう勧め、紹介状まで交付したにもかかわらず、原告及び親権者はこれを拒否したから、本件被曝事故の発生及びこれによる被害の拡大については、原告にも過失があると主張している。しかしながら、前述の通り、原告が、本件照射器械を運搬中に、イリジウム一九二の線源を、故意又は過失により、右照射器械から脱落させたとの事実を認め得る証拠は何らないのであつて、むしろ、〈証拠〉によれば、本件照射器械を使用した後は、イリジウムの線源を確実に本体に戻し、操作管と案内管をはずして安全キヤツプをすることになつていることが認められるところ、他に特段の立証のない本件においては、本件被曝事故発生前に、訴外佐藤が本件照射器械のイリジウム線源を所定の場所に戻し、操作管と案内管をはずした後、右安全キヤツプをするのを忘れたか、もしくは仮に安全キヤツプをしたとしても、不完全であつたために自然にはずれて、イリジウム線源が外に脱落したものと考える余地も十分にあるのである(なお、右安全キヤツプを確実にしたとの事実を窺わせる証人佐藤敏二三の証言はたやすく信用できない)。また、原告が、本件被曝事故発生後の昭和四六年一〇月頃、被告主張の勧めにより放射線総合医学研究所の診察を受けたとしても、他に特段の立証のない本件においては、これによつて、原告が、前述の如き被曝線量の放射射線を浴びたために受けた放射線皮ふ炎やその他の障害の発生自体ないしその拡大を防止することができ、また、原告の前記精神的苦痛が軽減されたものとは到底認め難い。

よつて、本件事故の発生ないし損害の拡大について原告にも過失があつたとの被告の主張は失当である。

六次に、被告は、昭和四七年中に、原告に対し、慰藉料として、金二〇万円を支払つたと主張しているところ、〈証拠〉によれば、原告の母親である訴外川野フミエは、昭和四八・九年頃、訴外国際非破壊から、前後二回にわけて合計金二〇万円を受けとつたこと、なお、右金二〇万円は、被告が、昭和四八年三月頃、原告に渡すべく、訴外国際非破壊の従業員であつた訴外事具謨益に渡したものであることが一応認められる。しかしながら、右金二〇万円が原告に対する慰藉料の一部として支払われたことを認める的確な証拠はなく、却つて、証人川野フミエの証言によれば、右金二〇万円は、当時原告が本件被曝事故によつて罹患した放射線皮ふ炎を治療するために大阪大学医学部付属病院に入院したので、その治療費の一部やその他見舞金等として、訴外国際非破壊がこれを原告に贈与したものであることが認められるのみならず、原告が右金二〇万円を受領したことについては、前述の慰藉料額を定めるに当り考慮しているから、これをさらに右慰藉料額からさし引くべきではないというべきである。よつて、右の点に関する被告の主張は失当である。

七そうすると、被告は、その余の点について判断するまでもなく、原告に対し、前記四の12の合計八八〇万円及び内金八〇〇万円に対する本訴送達の翌日であることが記録上明らかな昭和四九年七月二三日から、内金八〇万円に対する本判決確定の日の翌日から、右各支払済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。なお、弁護士費用金八〇万円に対する遅延損害金支払の起算日は、右の如く本判決確定の日の翌日からと解するのが相当であるから(東京高裁昭和五二年四月二八日判決・判例時報第八五九号四四頁参照)、右を超える原告の請求は失当である。

よつて、原告の本訴請求は、右金員の支払を求める限度で正当であるから、右の限度で認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用につき民訴法九二条を、仮執行の宣言及びその免脱宣言につき同法一九六条一項、三項を各適用して、主文のとおり判決する。

(後藤勇 野田武明 三浦満)

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